わかくす文芸研究会 太田 理(おおたおさむ)講師
~かって東大阪に飛行場があった。その名も盾津飛行場
(大阪 陸軍飛行場)~
太田先生の話に半数以上の人が「知らなかった!」と驚きの様子でした。近くに住んでいた人も、子供の頃の懐かしい風景として思い出す程度で、現在は盾津中学校に記念碑が残るのみで痕跡は何もありません。
盾津飛行場(大阪陸軍飛行場)概略
存廃:1934(昭和9)年9月完成、1945(昭和20)年8月終戦で撤収
場所:東大阪市本庄・新庄(東大阪市役所の北、トラックターミナルの辺り)
面積:約10万坪(33万㎡)長さ940m、幅560m、滑走路750m
飛行場建設の中心人物:笹川良一氏
1947年に盾津中学校が開校。校舎は飛行場の建物で、骨組みだけになった格納庫や飛行機の残骸もあったそうです。
盾津中学校正門を入った所に「盾津飛行場跡地」の銘板(記念碑)があります。
銘板の内容
耕地整理が済んだ水田の真ん中に、大阪陸軍飛行場ができたのは昭和9年のことでした。民間からの寄付によりつくられたもので、大阪の防空と民間パイロットの養成を目的としていました。
昭和10年ドイツからグライダー学校の校長ヒルトが来場し妙技を披露、航空(滑空)熱が高まりました。また関西学生航空連盟の練習場にもなっていたので、学生の全国大会が開かれたり、よく日本帆走飛行連盟のグライダー大会が催されました。昭和14年には大学生の軍事演習地として使われました。
戦争末期には練習も大会も無くなり、ここで訓練を受けた学生が敵艦めがけ死んでいった悲しい出来事もありました。また当時すでに金属類が底をついており木製の飛行機造りが試みられたりしましたが、昭和20年8月戦争が終わり、盾津飛行場もその生涯を終えました。
戦後50周年にあたりここに銘板を設置します。 (平成7年8月)
~戦争の遺産を後の世に 伝えるために~
この講義で大勢の人が盾津飛行場のことを知ることが出来ました。悲惨な戦争の記憶が薄らぐ中で、二度と戦争を起こさないためにも、後の世へしっかりと記録を残し伝える、地道な活動をされている太田先生に感謝します。
日時:2018年10月23日(火)
集合:近鉄奈良駅 9時
見学:元興寺
☆ボランティアガイド引率による奈良町見学
昼食:「奈良町あしびの郷」
☆奈良寺院を通じて知識を深めるとともにクラスの親睦をはかりました。
元興寺(世界遺産)
用明天皇2年(588年)蘇我馬子が発願した日本最初の本格的伽藍を持つ法興寺を起源とする。政治の中心が飛鳥から奈良に移るに従い平城京へ移転し、寺名を元興寺とした。
*屋根瓦の一部は創建当時の物が今も使われています。
板絵智光曼荼羅(重要文化財)
*元興寺 特別開扉
デジタル近赤外線撮影によると、色彩下になされた下書き線を見事に捉えており、豊かな頬や弧線の大きな張った眉、あるいは切れ長の目にみる理知的な表現など、鎌倉時代の予兆が見えます。
【屋根裏探検】
木造建築は古来以来、破損や腐食します。
解体修理に際しては、維持するために使えなくなった部材は新しく取り換え、使える部材はリサイクルしながら巧みにそれを繰り返し巨大な建物を維持し続けてきました。柱など大きな部材は創建当時、1300年前の部材もあり長きにわたり使用しているのは驚きです。
平成30年(2018年)は元興寺が平城の地に創建された1300年という節目の年で、「屋根裏探検」事業は、この記念すべき年に屋根裏を公開し先人たちの生きた証を目撃してもらおうと企画したもので、ヘルメットと懐中電灯を片手に探検しました。
今回ご案内いただいたボランティアガイドのお二人です。お世話になりました。
〜昼食〜